column摂食障害について
摂食障害は、男性よりも女性に多くみられ、低年齢の人に発症することが多く、
発展途上国よりも先進国に多く見られるという傾向があります。
摂食障害は主に以下のタイプに分類されます。
拒食症(神経性無食欲症)
食べることを拒んでしまうことです。
実際には痩せていても、本人は太っていると感じて食べなくなってしまいます。
体重が落ちていくにも関わらず、とても元気で活発的になることもあります。
体重の減少以外にも以下の症状が出ます。
・思考力の低下
・虫歯になりやすい
・低カリウム血症
・生理不順
・「吐きだこ」ができる(手の甲に「吐きだこ」といわれるものが出来る)
・毛深くなる
・むくむ
過食症(神経性過食症)
食べ過ぎてしまう「病気」です。
自分の力では抑えることが出きずに、
手が勝手に動いてしまい美味しいという感覚もなく、ただ食べ続け、最後にはすべて吐いてしまいます。
過食症の症状としては以下のようなものがあります。
・嘔吐物や胃液の臭いが身体に染み付く
・痩せる
・虫歯になりやすい
・生理不順
特定不能の摂食障害
拒食症と過食症のどちらにも分類できないものを指します。
摂食障害は低年齢の人に発症するのに対して、高い年齢の人に発症し、男性が半数近くを占めます。
症状としては、
・肥満になる
・便秘がちになる
・カロリーの高いものばかりを好む
(参照「摂食障害回復サイト」より http://www.setusyokuguide.com/
摂食障害についてのブログ記事を紹介します。(自助グループ【ACOA】より)
摂食障害者は、空腹だから過食するのではありません。
何らかの心の中に不安や怒りなどがあると、それを解消する為にものを食べる。
つまり心理的な動機によって過食するのです(代償行為)。
**代償行為には、『過食嘔吐、チュウーイング、下剤乱用、拒食、過剰なダイエット
リストカット、性的逸脱行為、アルコール・薬物依存、ギャンブル、買い物依存
自傷癖、仕事依存、ひきこもり依存、不登校、虚言癖、虐待・・etc』があります。**
**嘔吐のためにチューブを使う方も増えてきました。
空腹感とは関係なくものを食べる事が出来るのです。
この状態は、私達の脳の中で、生きていくために必要な生理的な部分より、
心理的(観念的)な部分の働きの方が優先されている状態と考えることができます。
通常は、自分の身体、命を守るため、観念的な部分より生理的な部分が優先します。
人間に限らずあらゆる動物は、からだが今何を要求しているか、
拒否しているのは何かを知り、自分の命を守っています。
しかし摂食障害者等は、五感は閉じられています。
からだが食べものを欲しがっていても、観念(思考)の部分が食べるのをやめさせたり、
もうお腹がいっぱいだと信号を発しているのに、さらにものを食べてしまう状況になります。
からだの生理欲求が、観念によって押さえつけられた状態だということができます。
**観念には心の葛藤・叫び
『恐怖、辛い、めまい、焦り、面白くない、もう疲れた 寂しい、恥かしい、みじめ、もうダメ、後悔、イライラする、恐い、憂鬱 放っておいて、死にたい、責めないで、不安、何とかして、ビクビクしている 助けて、情けない、無力感、注目しないで、罪悪感、動けない、不眠・・etc』**
誰でも1度は感じたことがあることが、許せないんです。 自分を責めてしまう。
自分を許せないから、自傷行為に走るのです。
心に精神的ストレス、睡眠不足が更に、心の病を進行させます。
自分に向きあって、ひとつづつ取り除いていきましょう
ジェニーン・ロス著
精神科医・斉藤学翻訳
【食べすぎてしまう女達・愛の依存症】より
…………
食べることは、愛されるための方法、
強迫行動は、感情レベルでの絶望の表現です。
強迫とは、家に誰もいないという気持ちです。
誰かを家にいさせる為に、私たちは強迫行動に走るのです。
私達が欲しいものは愛なのです。
強迫行動(過食嘔吐やリストカット等)に溺れたい人など いません。
生き延びるためにやるのです。
発狂しないためにやるのです。
自分のためになるからやるのです。
食べ物は私達にとっての愛です。
食べることは、私達なりの愛される方法なのです。
両親がいなかったときも
食べ物は 側にいてくれます。
父と母に見放されても
食べ物は見捨てたりしません。
いつもそこにいてくれます。
私達が凍える時、食べ物は暖めてくれ、暑い時は涼しくしてくれます。
私達の知っているものの中で食べ物は1番愛に近いものなのです。
しかし、
食べものは愛の代用品に過ぎません。
食べ物は決して、
愛そのものではないのです。
私達の多くは、愛の変わりに食べものを利用して来た年月があまりにも長いので愛のかわりに食べ物を求めることと、愛そのものを求めることの違いがわからなくなっています。
愛を認識することができません。
それは私達が愚かだからではなく、充分に愛された経験がなく、愛がどんな感じか、どんなものかしらないのです。
また、このことから、充分に愛されたことがなければ、自分を充分に愛してやることもできないということが言えます。
強迫行動の真の理由は自己愛の欠如です。
過食嘔吐やリストカットとは、自分がいい人間ではないという思い込みが表面化してしているものです。
・・・以下省略・・・
この本には、機能不全家族で育った、ACの問題や性的虐待等の過食や過食嘔吐にいたる、色々なことが書いてあるんですが、上手にまとめられません。
私は愛される値打ちがないという思いが、食の異常行動にあると書かれていました。
機能不全家族で育った、アダルトチルドレン
酒を飲んで頼りないならない父、繰り返される両親の不和や虐待などの
慢性的な「家庭内トラウマ」から、心の防衛をする為には、
子供は自己を「分裂」させて、
もうひとりの自分となって現実を「否忍」するしかないんです。
その結果として、現実の日常だけでなく、内なる自己の感情も否忍してしまい
他人との親密性を拒否し、自分をコントロールしてしまうのです。
分裂、価値観の切り上げや切捨て、投影性同一化、
否忍などの「原始防衛」を大人になるまで用いつづけたり
慢性的な「見捨てられ不安感情」にさいなまれ、抑鬱になったり
共感されない子供時代、青春時代を送ってしまう。
また自分の気持ちを抑圧するなど「神経症的防衛」などを用いることもあります。
それらの結果として「境界性人格障害」や「自己愛的人格障害」などの
人格障害や
「不安神経症」や「強迫神経症」などの神経症、
あるいは「嗜癖(アディクション)」などの「症状」を持ったまま
AC(アダルトチルドレン)なっていく人が多くいます。
その嗜癖として、また症状として、アルコールに依存したり、
過食嘔吐・性的逸脱行為・等の行為で自分をコントロールしたり
依存したりしてしまうのです。
子供時代を子供として過ごすことが出来なかったアダルトチルドレンは
周囲に気を使い、自分の感情を抑えて子供時代を過ごしているので
素直に自分の感情を表現することが出来なくなって、
抑え過ぎた感情が急に爆発したりしてしまう。
男性の場合は、その衝動行為が、車の暴走行為や、暴力で表現しますが、
女性の場合は、そのような粗暴な行為は出来ずに、
自分自身の自傷行為という手段に走ってしまうのです。
その行為がリストカットや過食嘔吐としての症状として出てくるのです。
その様な、嗜癖(アディクション)がなければ、
自分自身の生きていることの実感が得られない
状況に追い詰められてきてしまっていたんですよね。。。
ビンジ(過食)とパージ(浄化)のサイクルは、アルコールやドラッグ依存症の「ハイ」と「ダウン」の時の状態とよく似ています。
ビンジは、辛い感情や、自己否定感による痛みを遮断する行動ですが、
同時に、自虐行為でもあり自己否定感に油を注ぎます。
パージは、深まった自己否定感を和らげようという試みです。
食べ物と体重とが、人生で唯一残された‘自分がコントロールできる領域’だと信じている行動です。
外見を何とかコントロールすることで、 内面の怖れや痛み、孤独、自己否定感を、 少しは何とかできるだろうと、思い込んでいるのです。
感情の遮断状態とは、
これ以上傷つかないように、と、張り廻らされた予防線です。
これにより感情は変装を施され否認されるかもしれませんが決して消えることはないのです。
感情は、メッセージでありヒントだということを、理解しましょう。
感情はあなたを傷つけるためにあるのではなく自分を助けるためにあるのですから。
自分には抑圧された感情がたくさんあるという事実、、、
主に「怒り」(怒りは傷ついたことへの自然な反応)があるのだという事実も少しづつ認めていきましょう。
自分がAC(アダルトチルドレン)であること、
そして、その背景にある機能不全だった自分が家庭のコミュニケーション環境を、 言い訳や理由をつけずにまずは認めてみることから始まります。
(参考文献:クラウディアブラック 持ちきれない荷物を抱えたあなたへ)
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アファメーション
☆完璧ではないけど、私はこれでいい
☆間違いを犯すけど 私には価値がある
☆ありのままの私はかけがえのない存在だ
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非現実的なハードルを、現実の高さに下げて、
これらの言葉(アファメーション)を受け入れて、
自分の中にきちんと位置づけていく「過程」こそが、回復です。
頭のどこかで考えているような『完璧な回復』などは、
きっとどこにもないのでしょうね。
理解者や仲間と繋がることで、閉じた心は緩みやすくなります。
ありのままに正直に話しても大丈夫なのだと
心の底から思える居場所は大切です。
過食症とは? ~過食症の三つの要素
過食症は三つの要素からなっています。
実際に食べたり浄化したりする行為(行動)、患者が自分自身や世間についてどう考えているか(認知)、そして患者が自分の感情にどう対処しているか(感情)の三要素です。
例)アリソンのケース
アリソンは長い間ずっと落ち込んで惨めな気分でいました(感情)。
そして、この惨めな気持ちは自分の体重のせいで、痩せなくては解決しないと思いました(認知)。そこでダイエットを始めました(行動)。
ところが残念ながら思うようにダイエットができず、食事制限を更に厳しくし、運動ももっと過激にしました(行動)。
極端な食事制限と運動を続けるうちに、むちゃ食いをしてしまいました(行動)。
すると彼女は、自分は「いけないことをした」「意志薄弱だ」「自制心がない」と思うのです(認知)。
このように自分を否定的に考えると、さらに落ち込み、
すでに低い自尊心がさらに低くなってしまいます(感情)。
また、むちゃ食いをしたとき気がとがめ心配になっていた(感情)ので、食べたものを吐かなくてはならない(行動)と思うのです。
こうして過食と浄化の回数が増えるにつれ、ますます自分自身が惨めになり(感情)、過食症のサイクルが続いて、治療を受けなければならなくなりました。
過食症を理解するのにいちばん大事なことは、過食症者は不愉快な感情に対処するために過食や浄化をしているのだと気づくことです。
私たちも、いやな気分の時には、
すこしでも気が晴れることなら何でもしようとした経験があるでしょう。
それと同じで、過食症者は、
過食して浄化することが、一時的にではあってもいやな気分を忘れさせてくれることに気づいたのです。 しかし残念ながら、過食して浄化することは単なる気晴らしであって、いやな気分は必ず再び現れさらなる過食と浄化をせざるを得なくなるのです。
R・T・シャーマン/R・A・トンプソン著『良い子と過食症~家族と援助者のためのQ&A』斎藤学 監訳・解説(創元社)より
精神科医療シリーズ④ 拒食症と過食症 NOVA出版より、抜粋です。
過食症の人は心の空虚感に耐えられず、愛情を求めています。
しかし愛情欲求は満たされず、空虚感を埋める方法として
かむしゃらに食べることがはじまります。
食べ物は簡単に手に入ります。
甘い物、舌触りのいいものを好んで食べますが、
しまいには味や栄養などはおかまいなしで、ただお腹の中に入ればいいのです。
しかし所詮はいつわりの満腹感、本当の愛情で満たされたわけではありません。
食べたことで太るのではないかと不安になります。
食べものはあふれ、むだに捨てられています。
吐くことがもったいないと気持ちはありません。
いつわりの食べものが身になってしまうことに 強い恐怖感を感じて吐き出すのです。
心はさらに空しく、憂鬱で死にたいほどです。
寂しさを埋める愛を求めて、また食べます。そして後悔して吐き出します。
もう自分の意志では止められなくなります。
吐き出しているものは食べ物ではなく、本当は心の底に沈めていた、
いままでの人生の不満や不安、怒りを吐き出しているのです。
人生の不満や怒りとは、
母親との関係、家庭問題、友人関係のいざこざなどです。
そして、これらの悩みを解決出来ない自分自身のふがいなさも吐き出しているのです。
過食は母親の愛情を求めておこり、
嘔吐はその母親へのしがみつきに やるせなさを感じ、
そのこだわりから脱皮しようとしておこしているものと考えられます。
このやるせなさは、他の行動としてあらわれることがあります。
アルコール依存症、薬物乱用、万引き、盗み、家庭内暴力、性的逸脱行為
ひきこもり、リストカット、自殺企図などを示します。
自己破壊的で、親を落胆させるさまざまな行動もいままでの不幸に対する復讐なのです。
心のなかの苦しさを吐き出し、
母親をはじめとした家族、友人との心の傷を修復し、安心感を得て、
一人の大人の女性として成長することが治療となります。
***以下、次回続きを書きますね。***
もちろん、これに当てはまらないと感じる人もいるかも知れません。
100人摂食障害者がいれば、100人症状も、
生育歴や社会環境も違うので仕方がありません。
参考にしてくれたら嬉しいです。